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向上委員会情報発信チーム

ジブリ作品は永久に不滅です。その② 風立ちぬ編

2019.04.18

皆さんこんにちは!もうすぐゴールデンウィークですね!10連休なんて会社様も多いのではないでしょうか(*^▽^*) この時期は過ごしやすく、外遊びに最適ですよね(花粉症の私にとっては苦手な時期ですがwww) 連休中晴れるといいですね♪

さて先週末のブログに引き続き、ジブリの話で恐縮です(-ω-;) 

宮崎駿平成最後の作品「風立ちぬ」も先週末放送されましたね。私も久々に観ました。少し大人向けのジブリ作品ですが、小学1年生の息子も最後まで見ていたのには驚きました(; ・`д・´) さすがジブリ作品!!

 

“この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名の小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。

この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。                           宮崎駿
出典:「風立ちぬ公式サイト」 http://www.ghibli.jp/kazetachinu/message.html   

 

この映画は今までの宮崎駿作品と毛色が異なります。
ご存知の方も多いと思いますが、宮崎監督の作品には数多くの空や航空機が登場します。そもそも実家は「宮崎航空興学」という飛行機の部品を製作する工場を経営していましたので、幼い頃からの筋金入りの航空機マニアです。崖の上のポニョが終わり『モデルグラフィックス』という模型雑誌上にて発表した連載漫画(2009-2010)で同タイトルの「風立ちぬ」という漫画作品を発表しています。

『ジブリ汗まみれ』の中で鈴木さんが話していましたが、
「風立ちぬ」の漫画をみた鈴木さんが「映画化したら?」と問いかけましたが当初宮崎監督は映画化に反対でした。「アニメは子どもたちのもの」というポリシーがあったからです。意見の対立もありましたが、スタッフのある女性の「子どもは分からなくても、分からないものに出会うことも必要で、その内に分かるようになる」の一言が決め手になって映画化へと進んだとのことです。

完成までの過程での葛藤は続き、2011年3月11日東日本大震災が勃発した直前に、映画の序盤の関東大震災の場面を描いていたそうです。その場面を映像化することについても苦悩があったそうです。
そこで「その時に自分達は何を作るのか」、「前と同じようにファンタジーを作って、女の子がどうやって生きるかとか、そんなことでは済まないだろうと思いました」、「『風立ちぬ』というのは、激しい時代の風が吹いてくる、吹きすさんでいる、その中で生きようとしなければならない、という意味です」、「それがこの時代の変化に対する自分達の答えでなければならないと思います」出典:NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」2013より そして、ジブリ鈴木プロデューサーからの説得もあってジブリ初だらけの長編アニメ「風立ちぬ」が誕生します。

ジブリ初の大人の恋愛模様を描いてあったり、実在の人物を主人公にするなど、今までのファンタジー作品とは大きく異なる作品です。自由に描けない中でも、宮崎監督の伝えたいメッセージと情熱が伝わる素晴らしい映画です。ただこの映画も初見では難しかったです。一度観たあとに、当時の歴史背景(1920年~40年代)や日本の置かれている状況、世界の技術などを学んでから見るとより楽しいです。

例えば二郎と本庄がドイツ視察時に訪れたユンカース社で見かけた大型機G38のシーンなど見て、調べてみると「世界中の旅客機の礎となった」と知ると、ドイツの技術力の凄さに感心し、日本は(この時点では)こんなに技術に差があったのかと勉強になります。教科書に乗っていない歴史の勉強になりますね(*‘∀‘) 

 

また菜穂子が結核治療で高原の療養所で寒空の下寝袋にくるまっているシーンがあり、調べてみたところ本当に「大気安静療法」という治療が行われていました。

また堀越二郎氏が設計した零戦(零式艦上戦闘機)は卓越した空中格闘性能と長大な航続可能距離(予備タンク付で3,350km)のスペックを誇り、当時のライバルであったアメリカのカーチスP40の約3倍近い距離を飛べる訳です。作中の枕頭鋲のシーンがこの史実と結びつきました。

話は少しそれますが、物語の中で二郎が三菱重工に入社し、日本陸軍の国産主力戦闘機のコンペで負けて、陸軍は中島飛行機の機体を九一式戦闘機として正式採用します。この機体こそが零戦に次ぐ日本第二の量産機「隼」です。三菱重工の零戦も隼もエンジンは同じ中島飛行機製の「栄」(空冷複列星型14気筒)でした。

そして中島飛行機は戦争の時代に生まれ戦闘機を生産しましたが、培った技術力は戦後に平和な産業で大きく花開くことになります。私も調べて初めて分かったのですが、1953年に誕生した富士重工業(現在のSUBARU)は、中島飛行機が離合集散を重ねた末にたどり着いた姿です。スバルは戦後の日本自動車史の中で重要な位置を占め、水平対向エンジンと四輪駆動を組み合わせ、素晴らしい車を産出し、日本の技術力を世界に知らしめました。

 

下の画像は、華麗なアクロバット飛行を披露することで知られる航空自衛隊のアクロバットチームの「ブルーインパルス」で使用されている国産機体T-4です。その飛行テクニックは世界でもトップクラス( `ー´)ノ


そして三菱重工の国産初のジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」や「ホンダジェット」など、近年日本の航空機産業にも復活の兆しが見えてきています。頑張れ( `ー´)ノ!!日本のものづくり!

現在の日本は戦時中や戦後すぐのような苦しみはないかもしれませんが、大きな災害もあり、不況もあり、生きることに楽な時代ではないのかもしれません。しかしどんな時代でも「目の前のことに力を尽くして生きること、何をするかよりどう生きるかが大切なのだ」という監督のメッセージが、この「生きねば」というキャッチコピーに込められているのだと思います。

私も目の前の仕事に対して、全力で立ち向かっていかなければ!!と襟を正して邁進してく所存であります(; ・`д・´)  最後までご覧いただきありがとうございました。        企画課 柴田

 

 

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